私日誌。

日々のこと

日々のリズム


https://www.instagram.com/p/Bd0S0cxlKAS/

書いたり描いたり、で、記録と頭の整理を。今年はスケッチブックなスケジュール帳で、書く一年に



驚くほど静かな滑り出しの2018年。



まだ2週間も経っていないなんて信じられないくらい、私の時間は日々ゆっくりと進んでいる。




昨年末から始めた完全無欠珈琲と、今年から続けている着物生活。


その作用は大きい。





具体的にはこうだ。




1. まず朝起きて珈琲を淹れる。



2. バターやオイルを用意して完全無欠珈琲を作る。



3. ゆっくり飲み干し、着物に着替える。





この一連のリズムがそう言うゆっくりとした生活を支えている部分もあると思うのだけど、今思えばそれがものすごく私には合っている。



着物を着ている自分に「ホッとする」感覚。

「ホッ」というのはこういうことかと、続けてみて腹の底から納得している。




だからこそ、着物を着るタイミングは今だったんだな、と思う。



逃げじゃなく、むしろ攻めているはずなのに安全圏に入るというか…なんだか不思議な感覚。



何なら、最近の私は誰かの言う安全圏、という場所に逃げていたのかもしれない、とも。




大袈裟かもしれないけど、自分の安全圏は自分でしかわからない。



だから、コンフォートゾーンから抜け出す、というのは、自分の感覚探しには必須なのだと思う。


今いるその場所は、他人の安全圏に紛れてしまっているだけかもしれない。





…そんなことを数年前の私に言ってあげたい、と思った。





最近、数年前の私に言ってあげたいな、と思うことが多々浮かぶ。



それはまた後日まとめるとしても、そのような気持ちになったのは少し、余裕が出てきたからかもしれない。



あの頃の私は、そんな今の自分をきっと、頼もしいと思うだろう。



そんな時に出会えると、生きていてよかったな、と思う。



生きていてよかった、とこれから何度思うかわからないけど、いつでも生きて体験できる尊さを感じていたい。



ゆっくりゆっくりいきます、2018年。


自分になるまで。


私は妊娠前、2年ほどモデルやお芝居のお仕事をしていた。


その頃私は
常にお芝居のことを考え、トレーニングをし、出演舞台の台本を読み込み、オーディションや稽古に行く、という毎日を送っていた。


それこそが私の中での俳優たる生活であったし、今思っても本当にまっすぐだったと思う。

その時の生活をしていた自分を誇りに思うのと同時に、
もう少し余裕を持ってもいいよ、とも思う。


私はいつもどこか焦っていた。


○年後までにここにいなくちゃ!
▲年後にはこうでなくちゃいけない!


目標を掲げるのはもちろん素晴らしいけれど
でも多分、それに縛られていた。



ストイックにトレーニングを積む俳優以外は俳優じゃない、くらいに思っていたので
トレーニングをする必要があることすら知らない人が許せなかった。

トレーニングや芝居のことをできなかった日には自分をも責めた。


頑張ってたんだね、と今の私は思う。



仕事から離れざるを得ない状況になった時、私は全てを失ったと思った。



本当にしばらく泣いて過ごした。

思い出しては泣き、笑ったと思ったらまた泣いた。


今までの人生であれ以上に心の引き裂かれる思いは無いんじゃないか、というくらいの心の痛み。


ひっそりと、年単位で引きずっていた。



子どもが生まれてから「母」という概念が自分の中で生きるまで、体感では1年以上かかった。

それまで「母」であることは自分とはどこか分離していて、懸命に手繰り寄せていた、という感覚。


でも自分と統合してからは、過去の痛みまでも不思議と消えていった。

自分がひとつにまとまったような。


そうなってからちゃんと自分が生きたいように生きる選択ができ始めたのかもしれない。


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○○である、っていう肩書きみたいなものはわかりやすいけど
本当はそこが重要なわけじゃなくて。


自分がそこにいて、自分が何をしたいか、
自分が何を言いたいか、自分は何が好きか

とか、そういうことでヒトは構成されている、と思う。



誰もが誰をも止められないし
何かに許される必要もない。


私が私を許し、飛び込むだけ。


事務所を辞めて、完全に何者でも無くなった私は、
ただ自分を許し飛び込んでいくしかない。

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もしかしたら、本当の意味でのスタートラインはここなのかもしれない。


麗奈

ヘアドネーションしてきました。


●ヘアドネーションとは

"頭皮・頭髪に関わる何らかの病気が原因で髪の毛を失い、ウィッグを必要としている子ども達に、医療用ウィッグの原料となる毛髪を間接的に提供すること。
寄付された髪の毛は、当団体によって選別・加工の工程を繰り返したのち、ウィッグとして生まれ変わり、レシピエントの元に届けられています。"
特定非営利活動法人 ジャパンヘアドネーション&チャリティーHPより)



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ヘアドネーションという言葉を知ったのは
「もし髪を切ることがあったら」、と母からLINEでヘアドネーションに関する記事をシェアしてもらったから。

その時私の髪の毛は、生え際から測って50cmほど。

さすがにそこから31cm以上切る勇気はなく、その時はモデル事務所にも所属していたので髪型も変えられなぁと、すぐには実行に至らず。


でもせっかくここまで伸ばした髪が役に立つなら、その「いつか」を絶対に!とは考えていて、そのいつかが「今」でもいいじゃん、と思ったのが今年、事務所を辞めてから。


髪の毛を切るか切らないか。

たったそれだけのことでアレコレと悩む。


髪の毛に色んなものが物理的にも精神的にもまとわりつき、その重さを感じて来たんだなぁと気づく。


ロングの方がいいとか、
黒髪は死守しなきゃとか、

モデルという立場、母という立場、妻という立場、女という立場。


口では切る切ると言いながら約3ヶ月、ありとあらゆる理由をつけては決断を遅らせてきたけれど
11月某日、どうにもならないほどに限界を感じて突発的に切ることに。


しかも丁度その日はヘアドネーションを全国的に見てもかなりやっている美容院「55jet」さんの近くに行く用事があるし、息子を見てもらえるだけの人手もある。

電話をしたら、前日にもかかわらず、しかも当日は休日なのに、丁度いい時間に空いているという。


こんなタイミングはなかなかない。


こうなるともう導かれているとしか思えないので、流れに降参するしかないのである。



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いざ切るとなると、やっぱり少し緊張する。

もう何年も守ってきたものだから。



それでもゆく。




まず。

ヘアドネーションは31cm以上の長さが必要なので、その長さで結ぶ。


で、ばっさり。


最初のハサミは私が入れた。



切る、ということへの精神的な不安よりも、うまく切れるかという実質的なことの方が気にかかる。


普通のハサミとちょっと違って、引きながら切らないとならないので、もう「切っちゃう〜」って意識より、
頭は「うまく切れるかな」へ移行する。


結果、私は35〜37cmくらいの髪の毛を提供することができた。


更に髪の毛の長さを整えるのに少し切ったため、実際には40cm近くの髪を切ったのだと思う。




(一連の写真はInstagramにて)



月に1cm髪が伸びるとして、40cm。
単純計算で3年ちょっとの量を切ったことになる。


私の3年は、ウィッグが必要な子どもたちへ贈られる。

なんとありがたいことか。



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私の今持っているものを、開け放したいと思った。


新たに何か得るのではなく、今ある自分をどんどん提供したいと思った。


自分にどんな価値があるかはわからなくとも、きっと世界のどこかに私が持っているものを欲しい人がいる。


そう考えたときに、自分の能力とか、性格とか、容姿とか、そういうものももちろんなんだけど、
物理的なものでもいいか、と気づいたのが、髪の毛。
献血とかもいいのかもしれないけど、今は授乳中なのでまたのときにね)


そういうもので、[自分]という資源に気づく。



[自分]に含まれるものに自分が気づいてないことが多々ある。

でもこうしてひとつひとつ気づいて、使ってみる、ということの経験でしか[自分]に気づけないのかもしれない。

https://www.instagram.com/p/Bbb-N0KFANe/



今後とも。

どんどん開け放したい。


麗奈

雑記[子どもとの生活]


子どもとの生活をどう捉えるか。

それだけで日々の過ごしやすさがぐっと変わる。

子どもがいるからできないこと。
子どもがいるからこそできること。


子どもがいるから、と躊躇することも多々あるけども、

子どもがいるからこその、自らの成長と経験の広がりの方が私にとって大きい。


子どもがいるからこそ、1人では躊躇していたことにも飛び込めたりする。


そして、子どもがいるから○○、なんていう理由をつけたくない、と思うことで純粋な自分の「こうしたい!」に気づけたりする。

むしろ、惰性でしてきたことや本心じゃないものは、自然と淘汰される。


そう考えると、子どもとの生活はやっぱり本心をより捉えて生きることが大事になってくる、と私は自分に対して思う。


子どもがいなかったらあれもできたかも、
これもできたかも、
と思う時間よりも、

子どもがいるからこそできること、
子どもがいてもやりたいこと、
を見つめる時間の方が楽しい。


子どもとの生活、自分のしたいこと、
多様性に溢れる毎日が、こんなに幸福だと知らなかった。


限りあるこの時間を、本気で楽しんで行きたいと思う。


生きていることに心の底からの感謝を沸き立たせてくれた出会いに感謝しかない。


https://www.instagram.com/p/BZTd_b3lLGA/



そして、10年後の私もそうであってほしい。
むしろ、もっともっと全身で瞬間瞬間を楽しむことのできる人間になっていることでしょう。


麗奈

子連れでお出かけ〜YOKOHAMA編


子連れで来るのはかなーり久しぶり、しかも木枯らし1号の吹く季節に来ちゃいました、YOKOHAMA。

今回はベビーカーとベビーラップ(サイズ4)を持参。

ラップはAGOSSIEのMilkweed the seaをお試しさせてもらってました!




最近かなり動き回りたいお年頃なうちの息子(りーくん)。

そんな彼が満足するようなお出かけスポットを探していたところ、
YOKOHAMAには無料で入れる動物園がある、とのことで、

今回、野毛山動物園へ🐴



そもそも夫も私も動物が得意じゃないので
家族で動物園に行くのは初めて。


とりあえずりーくんがベビーカーでお昼寝をしている間に腹ごしらえ。


関内駅からすぐの「モハン」。

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フィッシュカレー with チーズナン。
美味しすぎた!



で、そこから歩いて野毛山動物園へ。


ネットでは桜木町から歩いて15分と書いてあったけど、
お散歩がてら20〜30分ぷらぷら出来る人なら関内からでも歩ける感じ。



坂道を登って、到着。


入り口近くには、野毛山動物園名物のレッサーパンダが!

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りーくんは動物と見たらなんでも「ワンワン」なので、
ここでもレッサーパンダに向かって「ワンワン」。



お天気は木枯らし1号の吹くくらいのテンションなので、かなりの強風吹き荒れる中だったけれど
りーくんが楽しそうなので嬉しかった。




休憩所の芝生で遊んだり。

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落ち葉で遊んだり。

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キリン見たり。

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コンドル見たり。

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シロクマになってみたり。


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ガォー






チンパンジーにゾッとしたり。

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(もう50年も野毛山動物園にいる子もいるらしい)



入り口もハロウィン仕様になってて楽しげだった。

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帰りはすぐ近くの図書館で絵本を読んで休憩。

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未就学児スペースや授乳室もあるので、子連れでも重宝する場所。



おむつも替えてリフレッシュしたら、
関内よりちょっと遠い、馬車道へ。



案外歩けたなーと思ったけど、
やっぱり電車の中でりーくんも私も爆睡💤
帰りの電車はずっと抱っこしてました。


遠いようで案外近い、YOKOHAMAを満喫しました♫

子連れで佐渡に行った話 其の後


子連れで東京から佐渡滞在6日間、しかも無免許。


これって、私だけじゃ絶対にできなかった。



team-0の保科さんと徹くんが居てくれたから、
私は新潟や佐渡までたどり着けて、滞在できて、ご飯に困ることもなく、無事東京に帰ることもできた。


美里さんが居てくれたから、昼間遊び場や棚田を車で探し回ることができたし、家事を分担したり、子どもにとっても私にとっても楽しい日々になった。


ゆいさんが居てくれたから、私は初対面でもこんなに心を近づけることができるんだと学んだし、子どもの嬉しそうな顔も見ることができた。


棚田のボスや地元の方々が居てくれたから、私は佐渡へ行けたし、温かさを感じ、美味しい新米を頂くことができた。


子どもと2人きりだったら、ここまでの彩りなかった。


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そして東京にいたから、全てが新鮮に感じられたし、より自然が大好きになった。



今を感じるために、今がある。




繋がりに、ただただ有難う。

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佐渡の日々、その後の話。



10月某日。

保科さんがうちまで新米を届けてくれた。



去年初めて徹くんに会った日に、初めて佐渡の棚田米を購入した。


それから一年。

また食べれる!!!という高揚感。



ほんとは何キロでも買いたいくらいだけど、
保存するスペースがないので、5キロ購入。

そして早速炊飯。

精米したてのお米が炊き上がった時のツヤ、半端ない。


わかっちゃいたけれど
元から有り余るお米大好き!が、加速するのがこの棚田米。


今年は佐渡の余韻をまた感じさせてくれる、という意味でより美味しい。


どこから来たお米かわかるとか、
誰が携わっているとか、
どんな土地の空気をまとっているとか、

もしかしたら「美味しさ」はそういうことで深みが出るのかもしれない。



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美味しくて嬉しくて
色んな人に振舞ってみた。

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Rice for you.

(2号、って書いちゃったのはご愛嬌。)




あと少し残っているので、残っている間に会えたら、Shall we rice?



子連れで佐渡に行った話 其の四


ところで。

お気付きの方もいらっしゃるだろうけど(?)
滞在中、私は稲を刈っていない。

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(散策させて頂いた、の図。)


稲刈りのシーズンにお邪魔したものの、
1歳児を連れているというのもあって、とりあえず料理や家事を頑張った(つもり)。


あと頑張ったことといえば、

写真を撮ることと、

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子どもを佐渡の自然の中で遊ばせることと、

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東京以上にほったらかすこと。

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それと、何より


自分が緩むこと。

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東京に疲れて佐渡に行った、という部分も少なからずあるので、佐渡で緊張状態になっては意味が無いし、

それ以上に「佐渡の空気を全身で感じてやるぞ!」という全身スポンジ願望(?)みたいなものもあったので、率先して緩もう、と決めていた。


でも私がそう決めなくても、もう緩んでしまうような温かでやさしい空気がそこにはあった。

それは一緒に滞在したみんなのおかげであるし、晴れてくれたお天道様のおかげだし、地元の方の温かさ故だし、
そしてそれ自体が佐渡という島の空気でもあったのかもしれない。

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もっと言うと、私がこの佐渡という島の優しさに触れることができたのは、
team-0の3年間の佐渡との関わりの積み重ねの恩恵であることは間違いない。


私の知らないその時間を、有難う、と思う。


そして、そこに思いを馳せる時、
同時に今までの色んなものが私の知らない時間の積み重ねで出来上がっているんだな、と気づく。


このブログも、スマホも、服も、道も、電車も。

私の知らない時間に、誰かがしてくれたことだ。


team-0が佐渡で活動をしてくれてるおかげで私は佐渡の美しい景色と美味しいお米と出会えた。

もちろん、すべて私のためじゃないけど、私はそれを受け取らせてもらった。


だから私は、この体験を記しておこうと思った。


そして、次の記事に佐渡のその後を記して
この旅行記(?)を締めくくろうと思う。