私日誌。

日々のこと

自分になるまで。


私は妊娠前、2年ほどモデルやお芝居のお仕事をしていた。


その頃私は
常にお芝居のことを考え、トレーニングをし、出演舞台の台本を読み込み、オーディションや稽古に行く、という毎日を送っていた。


それこそが私の中での俳優たる生活であったし、今思っても本当にまっすぐだったと思う。

その時の生活をしていた自分を誇りに思うのと同時に、
もう少し余裕を持ってもいいよ、とも思う。


私はいつもどこか焦っていた。


○年後までにここにいなくちゃ!
▲年後にはこうでなくちゃいけない!


目標を掲げるのはもちろん素晴らしいけれど
でも多分、それに縛られていた。



ストイックにトレーニングを積む俳優以外は俳優じゃない、くらいに思っていたので
トレーニングをする必要があることすら知らない人が許せなかった。

トレーニングや芝居のことをできなかった日には自分をも責めた。


頑張ってたんだね、と今の私は思う。



仕事から離れざるを得ない状況になった時、私は全てを失ったと思った。



本当にしばらく泣いて過ごした。

思い出しては泣き、笑ったと思ったらまた泣いた。


今までの人生であれ以上に心の引き裂かれる思いは無いんじゃないか、というくらいの心の痛み。


ひっそりと、年単位で引きずっていた。



子どもが生まれてから「母」という概念が自分の中で生きるまで、体感では1年以上かかった。

それまで「母」であることは自分とはどこか分離していて、懸命に手繰り寄せていた、という感覚。


でも自分と統合してからは、過去の痛みまでも不思議と消えていった。

自分がひとつにまとまったような。


そうなってからちゃんと自分が生きたいように生きる選択ができ始めたのかもしれない。


**********


○○である、っていう肩書きみたいなものはわかりやすいけど
本当はそこが重要なわけじゃなくて。


自分がそこにいて、自分が何をしたいか、
自分が何を言いたいか、自分は何が好きか

とか、そういうことでヒトは構成されている、と思う。



誰もが誰をも止められないし
何かに許される必要もない。


私が私を許し、飛び込むだけ。


事務所を辞めて、完全に何者でも無くなった私は、
ただ自分を許し飛び込んでいくしかない。

f:id:mama-days:20171115173124j:plain


もしかしたら、本当の意味でのスタートラインはここなのかもしれない。


麗奈